大熊/いやぁ、もしねぇ、伊藤さんが総理大臣になっていて、木津さんが国会議員になっていたら、今この国はどうなっているんだろうと思いますけど。(笑)
さて、今回のテーマ「表現の自由と平和」ということでございますが、最近、表現の自由ということについては、
フジロックフェスティバル が、ことし行われる中で、
SEALDs (シールズ) という学生さんが、参加するということで、音楽に政治を持ち込むんじゃないという話もあったりして、私自身も、「そうかな?」って思っていたんですが、それぞれの思いを、今感じていらっしゃる表現の自由と政治に関して、また(表現の自由と)戦争について、それぞれの関わる分野から、木津さんなら音楽という分野、また、伊藤さんでしたら、あちこち世界を回って来ての話。また、高鶴さんは、ぜひ文学というものが戦時中にどういう役割を果たしてしまったのかとか、あるいは、それに抵抗してきたのか、それぞれ少しお話を聞かせていただければと思うんですが。
フジロックフェスティバル (FUJI ROCK FESTIVAL): 1997年、山梨県富士天神山スキー場で初開催された。1999年より、毎年7月下旬または8月上旬、新潟県湯沢町の苗場スキー場で開催されている。(出典:Wikipedia)
SEALDs (シールズ): 英語 Students Emergency Action for Liberal Democracy (自由と民主主義のための学生緊急行動) の略。2015年5月から2016年8月まで活動していた日本の学生団体。(出典:Wikipedia)
木津さん、いかがでございましょうか。音楽と政治といいますか、音楽と戦争といいますか。
木津/今、大熊さんからフジロックのお話が出て、音楽に政治を持ち込むなというような話がありましたが、歴史を紐解いてみますと、「音楽は政治と隣り合わせ」もしくは「音楽は政治に対して闘いを挑んでいる」というような場面が数多く見られます。もちろん、後世の作り話という域を出ないものもありますが、基本的には表現というもの、それから自分の尊厳といったものを含めて、どうこの世の中にあるべきかを問うている作曲家たちが多くいるのが事実です。
きょう、こういうパネルディスカッションの中で、あまたいる作曲家の中で、具体的にどこを取り上げてみなさまにお話ししたら、そうした思いが伝わるのかと思って、私のほうで4名挙げさせていただきました。
まずは、誰もが知っている、あの音楽室にある怖そうな風貌を持つ、ベートーベン。それから、ピアノを弾いている方なら非常に親近感があるのではないかと思いますが、ショパン。それから、近現代のロシアと切っても切り離せない、ショスタコーヴィチ。それから最後は、第二次世界大戦ヒットラーと切っても切り離せない、ワーグナー。この4人を、少し歴史を追って行く中で、お話をしていけたらと思っております。
で、クラシック音楽に限定してお話させていただきますが、さまざまな分野があります。例えば、大人数のオーケストラで演奏する交響曲。それから、弦楽器4人、バイオリン2本、ビオラ、チェロという比較的小さな人数で演奏される弦楽四重奏曲。それから、ピアノ1台で奏でられるピアノソナタあるいはエチュードと呼ばれるもの。大体、作曲家はこの3つの編成を使い分けて、いつの時代も書いています。
この3つというのが非常に大事になってくるのですが、交響曲というのは、こういう大きなホールで演奏する機会が多い作品ですので、基本的には自己・自分の芸術性をお客さまに披露するために演奏するのが、交響曲と呼ばれる大きな編成のオーケストラの曲です。
対照的なのは、弦楽四重奏と呼ばれる小さな編成で演奏する場合は、自分の置かれた人間関係や立場が不安定なとき、微妙なときに、比較的そういう見る目が少ない私的な演奏会でやられる弦楽四重奏というスタイルを採っています。
さらに、ピアノソナタというピアノ1台で演奏する曲というのは、もう自分自身の内面や心情をありのままに掻き出すために書いているというのが、ジャンルとしては挙げられます。
大熊/へぇ、いろいろあるんですね。
木津/そうですね。中でも、ショパンはピアノの名手です。ショパンの「別れの曲」、誰もが聴いたことがありますが、あれはショパンが書いた練習曲なんです。
大熊/練習曲?
木津/ピアノを練習するための曲が、あんなに美しいメロディーを奏でているというのは、ピアノを弾いている人なら知っているかとは思うのですが、知らない人からすると、「へぇ、これは練習曲なの」というようなことがあったりするというのが、ショパンのユニークなところではないかと思います。
少し時代を遡ってお話してみようと思います。ここは、ぐじゃぐじゃになってしまうと取り返しがつかなくなりますので、頭の中を、みなさんフランス革命にしていただきたいと思います。これからお話しますのは、フランス革命のころのベートーベンとナポレオンのお話です。ベートーベンの交響曲の中に第3番「英雄」/「エロイカ」と呼ばれる交響曲があります。もともとは、「ナポレオンに捧ぐ」という副題が付いておりました。もちろん、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、平民出身のベートーベンは、同じく平民出身のナポレオンを熱烈に支持していました。ところが、熱烈に支持していたにもかかわらず、(ナポレオンが)皇帝に即位します。クーデターで即位するわけですけども、その瞬間に「なんだあいつも権力になびきやがった。ちくしょう、ふざけるな。」ということで、その「ナポレオンに捧ぐ」という副題をペンで、穴があくぐらい書きなぐって破り捨てて、「ある英雄だった男に捧ぐ」というタイトルに書き換えてしまった。
大熊/曲は一緒なんですね。
木津/曲の中身を書き換えることはなかった。タイトルを書き換えて出版。
大熊/でも、ずいぶん方向性が変わりますよね。
木津/ずいぶん方向性が変わります。今まで「ナポレオンに捧ぐ」で、なぜそういう副題に変わったのかということで、さまざまな文献を含めて紐解いてみて、謎が多く残っていたので、検証されていましたが、どうも最近では、1804年に初演されたときに立ち会った皇帝がいるんですが、どうもその人のことを言っているのではないかと推察されるという結論には達しているようです。
大熊/ということは、「英雄」は、もともと「ナポレオンがんばれ。いいぞ。」という曲として作られた。
木津/そうですね。ナポレオンの賛歌までは行かないですが、第2楽章に葬送行進曲というお葬式のときなんかに演奏される曲調を採っているところがあるんですが、それは実はナポレオンの葬儀の様子を表しているんじゃないかと。一説に言われております。
かえって、献呈するにあたって、そういった不吉なものを献呈するのはいかがなものかという判断があったと一部では言われています。
大熊/なるほどねぇ。政治そのものですね、こういうところは。
木津/もう、フランス革命とナポレオン、ベートーベンは、政治そのものです。今回この「表現の自由と平和」ということでお話するにあたって調べてみたら、もっとおもしろい事実が分かりまして、実は、みなさまがよく知っている第九番の交響曲「合唱つき」と呼ばれるベートーベン最後の作品なんですが、実は、あれも反体制を歌詞の中に込めて歌っています。ですので、もし今からお話するような中に、秘密警察の方が客席に座っていますと、私は発言した瞬間に逮捕されてしまうと。逆に、演奏会場を押さえるために、ベートーベンの秘書は、歌詞の内容を隠して、会場を押さえたと言われています。
ちょっと簡単なんですが、歌詞の一節を紹介したいと思います。日本語訳の部分で一番有名なところだけ、ちょっと読みます。
すべての者は自然の胸に抱かれ、その乳房から歓びをいっぱいに飲んでいる。
邪(よこしま)な者、みなすべてバラの香りに誘われて自然の懐に入って行く。
自然は私たちに口づけとぶどう、死の試練をくぐり抜けた友を与えてくれた。
快楽などは、ウジ虫に投げ与えてしまう。
地と生を司る天使が、神の前に姿を現す。
こういった内容が、永遠高らかと歌われています。この第九をめぐるエピソードというのは、実はちょっとあとでお話しますショスタコーヴィチにも、少し関係してくるところでもありますので、何となく頭の片隅に置いておいていただければと思います。
大熊/読み上げていただいた部分、なかなか(要約筆記者の)指が追いつかないですけど、結構辛辣というか、表現がすごいですね。日本語で歌っているのは、もっとなんかやわらかい感じがするんですけど。
木津/そうですね。日本語で私たちが知っているような歌詞と、もともとのシラーというこの時代のフランスの反体制派の人が書いた詩では、まったく意味が違いますが、意味を知らないことも、ひとついいことなのかなと、これを調べていてちょっと感じた次第ですが、ベートーベンが知人とのやり取りの中で、非常に緊迫していたエピソードを話しています。例えば、自分の思想を大声で話せない。そんなことをしたら警察に勾留されてしまう。もっと言うと、話すことさえ憚(はばか)られて、レストランで筆談をしていた。そんなようなエピソードが残っているような時代です。もう音楽と政治が隣り合わせというような中で、この第九は作曲されています。
大熊/政治と隣り合わせでありながら、大っぴらに言う、いわゆる表現の自由はない時代だったということなんですかね。
木津/そうですね。この当時は、実は、拍手の回数も決まっておりまして。カーテンコールですね、いわゆる。演奏会が終わりました。何度も何度もアンコールしても、今は、なんにもとがめられないですよね。その当時、皇帝への喝采は3回までと決められていまして、それ以上やると、不敬罪として今度は逮捕されてしまう。
そんな時代に、何度も何度もコールが続いたので、それまで客席でじっと身を潜めていた秘密警察が、数を数えたんでしょうね、きっと。有能なのか、お時間があるのか分からないですけど、「あ、5回目だ」と言って、一斉に逮捕に動いたというエピソードが残っています。これが初演のころ。
大熊/はあぁ。なんか想像もつかない。拍手の回数が決まっていた。(あきれ顔)
この話、もうちょっとします?(笑)
木津/いやぁ。ちょっと1回切っていただいて、改めてお話を続けたいと思います。