布川/ そうしましたら、そろそろお時間ですので、最後に、ここに来ていただいたみなさんや、私たち若者に、何か一番訴えたいことがあれば、お話しいただけますか。
木村/ もうみなさんも当然だと思いますけど、どんなことがあっても、どんな理由にしろ、武器を持っての戦争は、絶対にしてはならないということです。戦争っていうのは、私は安全で、誰かが戦っているというものではない。人ごとではなく、自分自身の命のやり取りが戦争だと思っています。だから、ゲームみたいに、勝った負けたということは言えないんですよね。
2015年4月国連で開かれたNPT再検討会議にむけた要請団の一員としてニューヨークの国連国際学校で被爆体験を語る
それから、戦争が始まると、どんな正しいことを言っても、それが通らなくなる。戦争が始まる前に、それを言って行かないと、戦争が始まってしまったらおしまいだと、私は思っています。
核兵器も、1万5,000発地球上にあるそうですけど、1発でも、間違ってでも爆発すれば、それは報復合戦になって、あっと言う間に、地球は消えてなくなると思います。たった1発で、広島が、長崎がなくなりました。それと同じように、それよりも性能が強い爆弾が、核兵器があるのです。だから、絶対に使ってはいけないというよりも、作ってはいけないと思っています。
それから、ちょっと意見を言わせていただきます。これ(チラシを指して)、第1部でも何度も話題になって、この国際署名をみなさま方にもお願いしております。その中で、何度も言われたんですけれども、「広島・長崎の被爆者が、初めて核廃絶国際署名を始めた」というような言葉がありました。これは、言葉の問題なんですが、そうではありません。私でさえ、35年前から核廃絶の署名、それから訴えをしてきました。ただ、こういう国際署名の中に、「『広島・長崎の被爆者が訴える』という文言が、言葉が入った」のが初めてで、被爆者は、なにも今さら、72年も経って初めて核廃絶を訴えているのではありません。
2015年4月国連で開かれたNPT再検討会議にむけて各国の国連大使に核兵器廃絶への願いを訴える
さっきの男の子と同じぐらいの女の子(木村徳子さんご自身のこと)が、このようなおばあさんになるまでの間、ずうっと核廃絶を訴えて、署名やいろんな活動をしてきました。どうぞ、そこらへんも、少し分かっていただけると、ありがたく思います。どうぞ、これ(核廃絶国際署名)にご協力いただけますようお願いしたいと思います。
布川/ ありがとうございました。今の話を聞いて、少し感想といいますか、述べさせていただきたいと思うのですが。やっぱりこういうふうに学ばせていただく機会って、すごく大事だなっていうふうに私の中ではありまして、一番最初のほうでも言ったのですが、やっぱり人によって意識の差があるっていうのは、事実だと思います。
こういう辛いこととか、苦しいことって、聞くだけでもすごく自分の中の負担になるし、できれば聞きたくないって思う人が、ほんとは多いと思います。正直な話、やっぱり聞きたくないと思う友だちも、私の中では多いと思いますし、そういう人ってすごく多いと思うんですが、でも、それでも学ばなきゃ、知らなきゃ、今は変えられないと、私はすごく今お話を聞いて思って、やっぱり、聞いて、知って、それを伝えるまで行かなくても、自分の中でしっかり知らなければ、後のちに繋がって行かないし、また一生も、一生と言わず、これからずっと絶対に、戦争というのは起こってはいけないものだなというふうに、もうほんとに感じていますし、みなさんが思っていることだと思うので、それをやはり後世に繋げて行くためにも、自分たちがまず学ぶこと、そしてお話を伺うこと、それを大切にして行きたいなと、すごく感じることができました。本日は、ほんとにありがとうございました。(会場から拍手)