司会/次は「被爆の思いと高校生平和大使」と題して二人の方にお話をしていただきます。
木村徳子(きむら・とくこ)さんと布川仁美(ぬのかわ・ひとみ)さんをご紹介します。
木村徳子さんは、10歳のときに長崎で被爆されました。「再び被爆者をつくらないために」と82歳の現在も証言者として精力的に活動しておられます。きょうは雨の中また暑い中、狛江に来てくださいました。活動の詳しい内容はプログラムに挟んであります水色の紙をご覧ください。
布川仁美さんは、高校二年生。去年(2016年)の「高校生平和大使」に選ばれて国連へ派遣されました。(お手許の)水色の紙に簡単に説明が書かれていますが、まず布川さんからもう少し詳しく、応募した動機や、参加してご自身がどう変わったかなども含めてお話していただきます。そのあとで布川さんから木村さんにいろいろ質問していただきます。
布川仁美/ 第19代高校生平和大使東京代表を務めました、日本女子大学付属高等学校2年、布川仁美と申します。どうぞよろしくお願いいたします。(会場から拍手)
まず、高校生平和大使の簡単な説明をさせていただきます。モニター(ステージ上手に設置)をご覧いただきたいと思います。
高校生平和大使とは、核兵器の廃絶と平和な世界の実現を目標として、長崎の平和団体より生まれました。4年前に外務省からユース非核特使に委嘱され、国連軍縮会議の場で、代表者が発言などもしてまいりました。また、国連欧州本部に核兵器廃絶を訴えた署名、一万人署名活動の署名を届ける役割も持っております。
おもな仕事内容としましては、一万人署名活動、広島研修、結団式、長崎研修、スイス国連訪問、岸田外務大臣表敬訪問、韓国・フィリピン訪問がございます。きょうはその中でも、一万人署名活動とスイス国連訪問について、少し具体的にお話させていただきます。
第19代(2016年)高校生平和大使
スイス・ジュネーブの国連欧州本部前にて
スイスでは、さまざまな日程がこと細かく決められているのですが、その中でも国連が一番の肝(きも)となる仕事となります。午前中は国連軍縮会議を傍聴いたしました。まず議長よりあいさつと、私たち高校生平和大使についての説明があり、そのあと
佐野大使 に続いて、私たちの代表である
永石菜々子 が発言いたしました。
佐野利男(さの・としお):2013年から2017年まで、軍縮会議日本政府代表部特命全権大使。
永石菜々子(ながいし・ななこ):長崎市の私立活水(かっすい)高等学校3年(当時)
英語でスピーチを行ったのですが、その内容としては、「広島・長崎への原爆投下から71年後の今、被爆者から話を聞く機会は少なくなり、世界の人々は核兵器の脅威に、あまり注意を払っていないように見える。今立ち上がらなければ、被爆者の声に無関心で居続ける国があるだろう」などと訴えました。
それに対し、6か国ほどから
お言葉 をいただきました。その中でも中国からは、「自分たちの意見表明だけでなく、他人の意見にも耳を傾けるべき、歴史は鏡のように客観的かつ正確に見なければならない。また、第二次世界大戦について、どの国が始めたのか、そしてそれがどのように進み、日本は周りにどのような影響を及ぼしたのかということを考えてみてほしい。第二次世界大戦と原爆をかけ離して考えては、偏った見方に繋がるのでは」とのお言葉をいただきました。
お言葉:外国の大使レベルにこの表現を用いるのは適切ではないと思われますが、会場での発言どおりに記載しました。
国連軍縮会議でのスピーチ
このことから、日本の原爆被害は事実であるが、日本が周りにした加害面についても目を向けて学ばなければいけないなと感じるとともに、その上で核兵器廃絶を訴えて行かなければいけないと感じることができました。
続いて、一万人署名活動についてです。一万人署名活動は、核兵器の廃絶と平和な世界の実現を求めて、署名を行っております。毎年8月に、高校生平和大使がスイスの国連を訪問する際に持って行き、国連に永久保存していただきます。国連に永久保存される署名は、この署名が唯一であると言われています。2001年に長崎の高校生平和大使から始まって、今こうして高校生が主体となって行っております。もしお時間がございましたら、お手許に配られた冊子にも入っておりますので、ご協力いただければと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
そして最後になりましたが、高校生平和大使の経験を通して、応募したきっかけなども含めて、少しお話させていただこうかなと思います。
まず思うこととしては、すごく成長させていただいたなと思うことが多くて、ほんとだったら成長するっていうことよりも、その前に事前の準備して、自分が成長するより人に訴えなければだめでしょと言うんだと思うんですけど、それでもやっぱ成長させていただいたという思いが強くて。
軍縮会議日本政府代表部・佐野利男大使と
というのも、私が高校生平和大使になるにあたって、平和を考えるきっかけになったのが、小学校6年生の小笠原諸島へ行ったときのことだったのです。学校の有志の取り組みというか、やりたい人だけが行くというもので、その平和学習に参加させていただきました。私の学校は一貫校なので、高校生から小学5年生までがいて、ばらばらの学年の20人ぐらいが行ったのですが、そのときにいろんな話し合いを通して、多くの刺激をもらいました。それとともに、きれいな自然の中に、戦争の傷跡が残っているのを見て、すごくほんとに漠然と、平和って何だろうというふうに感じるようになって、それが、私が平和についていろいろ思うようになったきっかけでした。
そのことを通して、中学に上がって、平和学習とか、生徒会の平和係っていうのを経験させていただいたりして、たくさん平和について関わるようになりました。でも、そこで私は気付いたんですけど、自分の中でしか平和を考えたことがないなっていうのを、すごくそのときに感じて、自分とその小さい周りの世界、学校とか、そういうところでしか平和についての活動をしたことがなくて、何か自分にもっと、世界にとは言わなくても、何か発信できることはないかなって思っていたときに見つけたのが、この高校生平和大使でした。
2016年8月9日早朝、高校生らが手をつないで原爆落下中心地碑を囲み、「人間の鎖」を作る。
その経験をさせていただいて、自分の世界の狭さとか、情報量の少なさとか、無知であるっていうことが、いかに罪であるかっていうのを教えていただいて、もっと知って行かなければならない。「知る」で終わるのではなく、それを伝えて行かなければならないということを感じました。
まだ私には、大人や世界に発信する力はないんですけれども、周りの近い友だちから発信して行けたらと思っております。とは言っても、まだ友だちに言っても、こういう活動をしてるんだとか、平和大使っていうのがあるんだって言っても、「へぇ、がんばって」っていう感じでしか見ていただけないので、もっと自分のことのように、そのことを思うっていうのが、すごく大事だなって思っています。私やみなさんみたいに考えている人がいる一方で、何も考えず、何も知らずにいたら、それはきっと平和な世界というのは実現しないと思うし、核兵器廃絶なんて夢のまた夢だと思うので、私は身近な人に伝えていく、そしてその人たちに自分のことのように、平和について、戦争について、考えてもらう。そういうことを大切にして行きたいと思っております。
帰国報告会
きょうは対談を通して、そのようなことを自分の中で消化しながら、またその勉強をさせていただきたいと思っております。本日は、よろしくお願いいたします。(会場から拍手)
それでは、木村さんに質問させていただきたいと思うんですけど、原爆が落とされた8月9日というのは、夏休みだったとお聞きしたんですが、その日のことを、ぜひお聞かせ願えればと思います。